短歌ヴァーサス 風媒社
カレンダー 執筆者 リンク 各号の紹介 歌集案内

★短歌ヴァーサスは、11号で休刊になりました★
2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
← 2006.3.17
2006.3.18
 
2006.3.19 →


荻原裕幸

 
手術痕

手術痕なにを出し入れしたのだろう
(広瀬ちえみ)

 手術の痕跡を見て、手術そのものに思いをめぐらせたり、手術にまつわるその人の物語を推察するあたりまでは、表現者ではなくても可能なことだし、誰しもそれなりに経験のあることかと思う。また、縫合の痕跡を見つけて、何を出したのか入れたのかと考えるのも、ごく自然な人の反応ではある。ただ、手術痕のある身体を、そうした物体のように眺めているところに、この句の不気味なリアリティがたちあがる。澄んだこどものような視線とともに、出し入れ、つまり、手術のミスや医学を超えた何かを連想させる不可知の世界が広がっている。
 川柳というスタイルには、作者と意図とは関係なく、一人称を無名化する機能が備わっているように思うことがある。一人の姿が明確に見えれば見えるほど、その一人が誰にでもなりかわり得るように思えてしまうのだ。逆に、前後の文脈が断ち切られたとき、たとえば、この手術痕に向けられた視線だけがそこにあるようなとき、むしろ、他の誰でもないその人の存在が感じられたりもする。

 いなくなった猫をいまでも飼っている
 門しめる家が逃げ出さないように
 ニワトリの声で電話に出てしまう
 読みさしの場所に挟んでおく光

 引用句は『広瀬ちえみ集』(邑書林・セレクション柳人14)に収録されている。修辞の観点から言えば、この人の句は、自己表現の際に隠喩を嫌う傾向がある。多くが換喩的文体なのだ。自己が、句の内部にある、のではなく、句の隣にいる、と言ったらいいだろうか。
← 2006.3.17
2006.3.18
 
2006.3.19 →