短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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荻原裕幸

 
許容量

 いわゆるチャンネル権をほぼ全面的に家人に渡してあるため、自分の価値観にまったくあわないテレビ番組を見ていることがままある。結婚したとき、他者の価値観をたどっていると、何か思いがけない発見があるのではないかと考えて、チャンネル権を半ば放棄した。実際、家人の価値観でテレビ番組を選択していると、思いがけない発見だらけで、未知の情報をずいぶん楽しんでもいるのだが、反面、生理的に拒絶したくなるような番組まで見ることになったのは誤算だった……。
 たかがテレビ番組のことで、と言われそうな気もするけれど、あれをそこまでおもしろがって見るのか、などと、他者というものが実におそるべき存在だとしみじみ感じることになった。むろん、ときおりどうしてもと主張してぼくが見ているいくつかの番組に、家人もたぶん同じようなことを感じているのだろうとは思う。他人ではないとしても、他者には違いないのである。
 実は、毎月、超結社の歌会や句会に参加しては、このテレビをめぐるあれこれを思い出す。超結社の会には、少なくともぼくの場合、他者の抱える、自分には想像もおよばないような価値観に出逢うために参加している。書きはじめの人の意見からベテランの見識まで、吸収すべきことは実に多いといつも感じている。
 ただ、それが楽しみではあるのだが、吸収すると言ってもおのずと許容量というものがあり、しかもテレビの場合とは違って、その場を立ち去ることによって情報を遮断するというわけにはいかないのが厄介な点である。共有する価値観の追認だけに終始すれば楽しいのに、わざわざそこを逸れて何かを求めようとする。そして許容量を超えては困惑してダメージを受けている。これは、ある種の病気なのかも知れない。
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