加藤新助
「ご本堂の上空、白い雲に乗り、如来さまがお姿を現わされています。加藤新助は心から如来さまを信心し、毎年善光寺にお参りし続けましたところ、如来さまが三度お姿を現わされて、拝むことができました。あまりに尊く、本年もお参りしましたとき、また如来さまがお姿を現わされ合計四度も拝むことができました。有難くて有難くて、その有様を額に描いて奉納しました。」 善光寺史料館にはこのほかにもさまざまな有様が額に描かれ奉納されているのだが、加藤新助の有難くて有難くてがずばぬけて如来だと思った。目の不自由な人の目が自由になったり、足の不自由な人の足が自由になったりする額も展示されてはいたものの、そういう有難くては大学病院の待合室に奉納されてもかまわないだろう。ここで思い出すのがヨブという人のこと。 ヨブは旧約聖書に出てくる人で、信心深い大金持ちだ。すごい信心深いのに、ものすごいひどい目に遭う。羊や騾馬や召使いや息子や駱駝や娘たちが大火事や大風やシェバ人の来襲等により皆殺される。それぞれの現場にはかならず誰かしら生き残り、 「わたし一人だけ逃れたので、あなたに御報告します」 「わたし一人だけ逃れたので、あなたに御報告します」 「わたし一人だけ逃れたので、あなたに御報告します」 「わたし一人だけ逃れたので、あなたに御報告します」 そこにおいてなおへこたれないヨブも、さらに全身ひどい皮膚病で七日七晩のたうちまわり、友だち甲斐のない三人の友だちに痛くもない腹を探られた挙句、さすがに神を疑いはじめる。私は得をしたいとか損をしたくないとかその程度の理由で神を信じるのではもちろんない。それにしても、にしてもあまりにもこの仕打ちはないんじゃないんですかね。(この項、つづく) |