短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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荻原裕幸

 
足の音

 平井照敏の俳句に「秋の夜の足音もみなフランス語」という一句がある。秋の夜は誰の足音もすべてフランス語風にひびくという意か。あるいは一人の人物を想い、その足音にさえもフランス語の感触があるという意だろうか。いずれにしても、足音の日常感を超えて、小さな祝祭が一句のなかにたちあがるのが魅力だと言えよう。
 こどもの頃には、四季を問わず、父親が帰宅する足音が家に近づくとすぐにわかった。また、近所の仲のよい小母さんがわが家に顔を出しに来る足音もすぐにわかった。現在のようにやたらに物音の多い時代ではなかったのだろう。いつでもすっきりと聞きわけられたのだ。母親にはよく、犬みたいだねえ、と笑われた。
 いまはマンションの三階に住んでいるせいもあってか、家のなかでは足音そのものをあまり聞かなくなってしまった。些細なことだが、なんとなく自分のいる世界が狭くなったような気がする。聞いているのは三種類だけ。下の階のこどもが夜中に部屋を駆け回る足音(「上」のミスタイプではなく「下」の階。笑えてしまうほど元気なこどもだ)、家人が部屋のなかを移動する足音、それに自分の足音。
 自分の足音というのには、はじめは気づかなかった。それが、いつのことだったか、しんとした真夜中に家のなかにひびくのを聞いたときから、むかしの父親の足音とそっくりなのに気づいて、照れくさいような怖いような変な感じで、気になってしかたなくなった。
 以来、平井照敏の句を、さしたる根拠もなく、自身の足音を描いているのかも知れないと思ったりしている。父親のDNAを受け継いでしまうとか、耽溺しているフランス語がそのまま出てしまうとか、足音が抱えている素のままの自分というのは、どこか怖くて興味深い。
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