短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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若原光彦

 
ヤクザとF

 若原光彦です。半年間担当させて頂いたコラムも今回で最後になります。

 小4の時、同学年のクラスにとてつもない教師がいました。丸坊主で色黒、長身でいつもジャージを着ている。声が野太く無駄にいつも声量がある。威圧感バリバリの、ヤクザのような男でした。
 彼のクラスからはよく怒鳴り声が聞こえていました。教室の前を通ると、掃除でもないのに机が全て後方に寄せられていたりもしました。他クラスのことながら『何があったんだろう』と不安にさせられました。
 早い話が、熱血教師だったわけです。仁義にもとる行動は許さない。常に生徒に真剣に接する。子供の個性を活かしつつ、一団を言葉やカリスマでまとめあげる術も用いる。生徒達は彼を怖れていたが、筋の通った人物として信頼し慕ってもいた。いつもクラスに活気があり、彼の生徒は体育祭でも音楽祭でも異様なエネルギーを発していました。
 私が6年生の時に担任だったFも熱血教師でしたが、Fはこう言っていました。
「あの人からは多くを学ばせてもらった」

 ヤクザ教師は最後まで強烈でした。湿っぽい離任式でも始終ニカニカと笑顔でした。彼は壇上で思い出や生徒達へのメッセージを述べ、最後に
「僕はさようならは嫌いです。また会いましょう」
と言い放って壇を降りました。
 私は唖然としました。なんという臭く鬱陶しい大人だ。恥ずかしいとは思わんのか。
 でも今となっては、あの教師は良い教師だったのだな、と思うのです。

 ヤクザ教師が去った翌年、彼の生徒達は他のクラスの生徒と同じ、ずる賢く身勝手な現代っ子に戻っていきました。人は弱いものです、子供達は真剣な場に面していたから活きていたのであり、楽ができる環境では楽に生きたのでした。ヤクザやFの教え子のうち、少なくとも何名かは中学でいじめをする側に回っていたようです。
 しかし、ヤクザもFも、そんなことは百も承知で私達に何かを残そうとしていたのでしょう。複雑な思いはあれど、やはり彼らは良い教師でした。

 彼に倣って、というわけではありませんが、また会いましょう。私は先日、生まれて初めて宝くじを買いました。2億円当たったらおごります。若原でした。
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