あの時代、
朴正煕(パク・チョンヒ)政権時代の人権弾圧や冤罪事件の情報が韓国で開示されつつあるという記事を読んだ。 私の大学時代、関西の在日韓国人学生の多くが韓国に留学中北朝鮮のスパイ容疑で次々に逮捕され、死刑・無期判決を下される事件が起きた。同じ時期に韓国に留学して無事帰国した在日韓国人女子大生がたった一人でハンドマイクを片手に支援を訴えた言葉がその後の私の人生を変えることになった。その事件が四半世紀も過ぎたあと、韓国で捏造事件として取り上げられることに時の流れを感じずにはいられないが、驚いたのはその記事を知ったときの私自身の冷淡さだった。 事件の支援にかかわった動機が私の内部からの必然ではなく、ひたむきに救出を訴える彼女の生の言葉に衝動的に動かされたからかもしれない。考えるより先に動いてしまう性根は今も昔も変わりなく、かかわることで予想もつかない家族との軋轢もあった。離反もあった。が、その記事を見たときの私の反応は当時私が第一と思っていた問題への踏み込み方が浅く、得手勝手な解釈で年月のかなたに葬り去った証拠でもあるのだ。言い換えればその出来事を自身の枠組みを変えるきっかけにしただけで、その事件と自分との関係性を最後まで見届けていないということだ。 俳人の今井聖さんが俳誌「街」に連載している『極史的俳句四十年史』は浪人、大学時代から今に至る自分を学生運動のかかわりと加藤楸邨の出会いというまったく異質の二つの世界を軸にしてあまさず書き綴ろうとしている。七十年代の雰囲気そのままに個性豊かな友人、俳人を描き出すその筆致は西東三鬼の『俳愚伝』を思わせる。完成すれば今まで誰も書き得なかった現代俳句史になるだろう。結局、言葉とは自分の穴を覗き込んで引き出してゆくしかないこと、それを回避して言葉を紡ぐことは空疎でしかないことを感じさせられる力のこもった連載である。
|