短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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佐藤りえ

 
ゆについて

 月に一二度、歩いて数分の場所にある銭湯へ行く。ウチからいちばん近いこの銭湯は天井が高く脱衣場が広く、浴室の壁にはきっちりと富士山の絵が書いてある。今時の湯船はバイブロ風呂とでもいうのか、ぶくぶくとからだによさそうな噴射があって、うれしいような落ち着かないような雰囲気である。
 初めて銭湯を利用したのは十数年前、当時大学生だった兄の、風呂の無い部屋に泊まった時のことだった。友人と二人で、その立ち木と一体化してしまいそうな年代物のアパートを訪れた。東京で遊ぶ宿代を浮かせるため、ちょうど留守にしていた部屋を借りたのだった。
 到着すると、こたつの上に何やら書き置きがある。近所の銭湯の案内図と営業時間、料金と簡単な特徴だった。A湯は「アパートから徒歩3分程、お湯がすごく熱い」。B湯は「少し離れている、外人が多い」。あまり参考にならないそのメモをたよりに、A湯に行こう、と連れ立って出掛けた。B湯は遠いので湯冷めするかもしれないし、当時の我々は外人の二文字にびびり気味だった。
 A湯に到着するなり、番台やロッカーや体重計を見て、「これ、TVで見たことある」と顛倒した感想を抱いた。浴室からは本当に「かっぽーん」という音が聞こえて、興奮がさらに高まる。洗い場で顔やからだを洗い、さて、と湯船に足を差し入れて硬直した。お湯が劇的に熱い。メモは嘘じゃなかったのだ。すかさず手近の蛇口をひねろうとして、湯船の奥のほうに浸かっていた老婦人と目が合った。頬や肩口は多少上気しているものの、彼女はまったく平気そうだった。我々は顔を見合わせて、全身鳥肌をたてながら湯船につかり、またたくまに脱衣場へと退場した。完敗だった。江戸っ子はすごいね、と岩手出身の彼女は言った。宮城出身の私も同意した。帰り道をとぼとぼ歩き、アパートに戻って寝床の仕度をしても、からだの熱気は去らなかった。
 この大変インパクトのある体験により、その後数年は銭湯に寄り付けなかった。今では普通に楽しめる程度の湯温だと感じている。熱すぎる湯の危険性が再認識されたのか、自分自身のつらの皮(とからだの皮)が厚くなったのか、感覚が鈍くなったのか。とにかくもう鳥肌はたてずにすんでいる。
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