La tarentelle タランテラ
今朝、新興住宅地にある雨の停車場で、雉子の雄が一羽鳴きながらきれいな羽根をみせびらかしていました。(田舎なのです。)たぶん近くに雌がいたんでしょうね。もう少し見ていれば雌雄の雉子の円舞曲が見られたのかもしれませんが、惜しいところで電車が来てしまいました。男は強く美しくあらねばならない雉子の世界。まあ、うまくやってください。
カーテンの向こうはたぶん雨だけど ひばりがさえずるようなフェラチオ 林あまり 『ナナコの匂い』より
林あまりさんの作品の中から一番好きな歌をあげるとしたら、これです。ひばりの鳴く雨の野を思わせるような美しさで、フェラチオという性技がフルートのように響いています。 林あまりさんは短歌の2行改行というスタイルにこだわって作歌されている歌人です。私は、この林さんの2行改行は、歌の内容や文体と深く関わっているように思うのですが、一方、
ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく 石川啄木 『一握の砂』より
この人の3行改行(前回とりあげた北川透さんの『詩的レトリック入門』に、石川啄木の3行改行について北川透さんの考察が書かれてあるので、お手持ちの方は読み直してみてほしいのですが)、確かに見た目には、2行改行と比べて余白空間は大きいのですが、私の直感はどうしても、「これは詩的余白では無い」と、言い続けるのですね。
むしろ 1行内の文字数を 少なくするための 改行ではないかとー
啄木の歌集出版を支援した哀果土岐善麿も、石川啄木本人も新聞社員でした。ご存知のとおり新聞は昔から1行内の字数が少ない。通常の書籍が30字から40字前後して、新聞は15字から11字です。この新聞のスタイルは読みやすさを狙ったものです。海外の雑誌にも例があって、たとえば絶大な読者数をもつ雑誌、たとえばReader's Digestが、1コラムの横幅を狭くすることで行内の文字数を減らし読書時のストレスを低減しています。行内文字数が少ないと文章を早く読めるため、内容を把握しやすいのです。
『一握の砂』『悲しき玩具』の3行改行は、「短歌はちょっと。難しそうだし」と内心思っていた明治終わりから大正はじめの文学青年たちにも「ぼく(わたし)にも読める」と思わせてしまう戦略だったのではないでしょうか。ふつうの歌集を読み通せない人でも、啄木の歌集なら読める。いまだに石川啄木が好き、という人は多いわけですから、読者獲得という点では、啄木の戦略勝ちといえるでしょう。(つづく)
+25 Easy Etudes, N゜20
3行改行で短歌を2首つくりなさい。ひとつは分かりやすく、ひとつは分かりやすさはどうでもよく。 |