短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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佐藤りえ

 
(針)地獄の季節

 人には誰しも「裁縫の季節」というものがあるのだろうか。とりあえず私にはあるらしい。あるというか、来る。年末ぐらいに買ったあみぐるみの本を眺めて、どれを作ろうかなどとふと考えてしまう自分が認めたくないがここにいる。
(1)時間が惜しい
(2)作ってどうする
(3)難しそう
などの諸事情により今のところ実行には移されていないが、かぎ針の在処はすでに頭の中で割り出されている。これで近所に手芸店などあった日には毛糸やボタンを買い込んで背中を丸くしているに違いない。
 この、裁縫欲とでも呼ぶべき衝動はなぜか周期的にやってくる。普段は誓って家事が好きなわけでも得意なわけでもないのに、である。好きな男の子ができると料理を一生懸命練習するだとか、作り慣れない手編みのマフラーを編んじゃうなどという事例はよく耳にする。しかしそういう原因ともまったく無関係に、ある日突然に、針やら布やらゲージやらが恋しくなってしまうのだ。これで技術が素晴らしくて、ちょっとよろしかったらオホホ的なやりとりをできるレベルであれば、隣の奥さんの困った趣味として片付けられるが、さらに困惑するのは、この季節が去り行く時をも告げてくれないことである。ようするに醒めるのも早い。上達をみないまま、季節は去り、またいつか来る。同じことの繰り返しである。(2)作ってどうするの所以はそこらへんからも来ている。
 最初はマフラーだったと思う。冬休みに家庭科の宿題で出された編み物をしているうちにハイになり、首にまわりきらないぐらい編んだ。パッチワークに凝ってベッドカバーを作り、セーターを編み、手提げ鞄を作り、ある冬には毛糸の帽子を10も編んだ。頭はひとつしかないというのに。
 この衝動はいったいなんなのか。日頃抗いつつもなんとなく流してしまっている家父長制度へのあくなき反抗の態度なのか(まったく逆のような気もするが)?女性性への抵抗感を補うべく表出する内なる欲求の現れなのか?単純動作の繰り返しから放出されるエンドルフィンを得たいがための禁断症状なのか?わからないけれど、とにかく本を閉じて心を落ち着けて、キーボードに向かうことにする。心の中にむらむらと沸き上がってくる『ブックカバーを作ろう』とかいう本のことは、とにかく忘れる。忘れたい。
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