短歌ヴァーサス 風媒社
カレンダー 執筆者 リンク 各号の紹介 歌集案内

★短歌ヴァーサスは、11号で休刊になりました★
2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
← 2006.4.4
2006.4.5
 
2006.4.6 →


島なおみ

 
Consolation  コンソレーション(なぐさめ)

 引っ越しの荷づくりをしていて、本棚の整理の最中、あざやかなピンク色に黄色い帯を巻いた短歌入門書を手にとりました。この本と向き合うのは4年ぶりぐらい。
 帯にはこう書かれてあって、

 「短歌にすれば、その思いは言える。言いにくいことを、 なかなか言えない思いを、わかってるけど 言葉になりにくいイメージを、マスノ短歌にしたら、 見えるようにできる。つ た え ら れ る。」 糸井重里 

 (そうなのか。)

 短歌最大の武器となるレトリックは何だろうねえ、とシロートがシロートなりに考える日々です。いろんな考えがぐるぐるめぐって、結局のところ、57577の5句31音による韻律が、最強のレトリックであるという結論に落ち着いてしまうのです。
 が、このことはなんだか口にしづらい。なぜって、「57577の5句31音は、短歌のおかすべからざる詩型であって、それを修辞と呼ぶ島なおみは馬鹿であり、無視すべき存在である」と判断した歌人さんたちから一生口をきいてもらえないように思うから。
 岡井隆さんは『現代短歌 読みかた 作りかた』(六法出版社)という本で、「韻律論は、あくまで、結果としてあらわれた詩歌を、分析するときの理論または鑑賞法である。作り手が、韻律論にのっとって、歌を作るなんてことは、ありえない。歌を作るという過程は、もっと自然に、無意識に行われる行為過程なのである」と、少々引用は長くなりましたが、そういうふうに書いていますし、その弟子筋である加藤治郎さんの著書『短歌レトリック入門』の中にも短歌レトリックの項目として、57577の5句31音というのは登場しませんでした。

 (そうなのか。そうだったのか。)

 涙がこぼれそうになりながら、荷造りをいったん止めて、『かんたん短歌の作り方−マスノ短歌教を信じますの?』(枡野浩一著)の序文は飛ばして本文冒頭部分を再読しました。
 「1、何かを言いたいとき五七五七七のリズムを活用すると、強引な意見でもモットモらしく見えます。」と、わりと大きな文字で書かれてあって、「なんか変だなーと考える前に、つい納得しいてしまうリズムのよさ。」など、普通の大きさの文字で書かれてありました。

 このひとことで集約される短歌のもつ武器を、いつも自覚的している作り手と、わりと自然に(ときに無自覚に)受け入れている作り手の間に、おそらく深くて暗い川(明るくて浅い川でもいいです)が流れているのだと、推測します。この川の存在に気づいて、向こう岸に渉ってしまう人、そこにとどまる人、気づかないふりをする人。逆に向こう岸から、こっちへ渉ってくる人。

(来週につづく)

 +25 Easy Etudes, N゜13

 みじかびのきゃぷりきとればすぎちょびれすぎかきすらのはっぱふみふみ

 この短歌を解釈せよ。この歌を詠んだ歌人の名を挙げよ。この歌を短歌たらしめているものは何かを答えよ。この歌から伝わってくるものは何か、語れ。
← 2006.4.4
2006.4.5
 
2006.4.6 →