短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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荻原裕幸

 
おぼろ夜

おぼろ夜のおぼろに鼻をぶつつけぬ
(中村正幸)

 春の月が薄雲におおわれて万象がかすむのが朧夜だけれど、そうした視覚的な自然現象がそのまま書かれていてもやたらに情緒的な感じがする句が多い。そのあたりに目をつけたのか、この句では、朧夜の情緒をすっかりとりはらい、滑稽感をにじませて楽しんでいるようだ。万象がかすむと言っても物が見えなくなるほどではないし、実際に何かにぶつかると言ったらいささか大袈裟になってしまうところを、朧夜の朧そのものに鼻をぶつけたという。既知のようで実感的なのがおもしろい。
 俳句でも短歌でも、写生というのは、そのものにまつわる既存の概念を見尽くしあるいは書き尽くしてしまい、そののちになお見えてくる既存ならざるもののかたちを掬いとることに肝があるはずだけれど、そうした写生の果てに見えてくるもののかたちとは、しばしば幻影のような様相を呈するのかも知れない。朧に実体はないはずなのに、句を読んだあと、何かそこにたしかな存在として、朧という物質があるかのように感じられるから不思議だ。

 南天の実までの砂利の音を踏む
 雪嶺をよごす眼鏡を拭きにけり
 玻璃割れて春こなごなとなりにけり
 秋風にふくらむ幕を手で叱る

 引用はいずれも第三句集『万物』(文学の森)から。発句と言うよりも平句ないしは付句のテイストのある句がとりわけ楽しい。俳句の、表現や単語の選択のレベルにいたるまで、修行さながらのストイックな抑制を求める声もあるけれど、このくらいの楽しさが維持された方が、作者も読者もモチベーションが落ちないのではないかと思う。
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