短歌ヴァーサス 風媒社
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★短歌ヴァーサスは、11号で休刊になりました★
2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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斉藤倫

 
サイトウリン、かく語りき。(かわうそドクターさんのブログ日記から)

 (前半略)とはいえ、斉藤倫のウェブ版『短歌ヴァーサス』に取りあげられてからこのブログにも多少の客足の伸びがあったのには感謝しなくてはなるまい。
 遡ると、そもそも、その連載のアイデアをあげたのは私なのだった。ニーチェの永劫回帰について(私の専門ではないけれど)、恵比寿のうどん屋「でですけ」で飲みながら話しているうちに、プチ講義になり、どうだこうだと意見を闘わせても議論が収まらない。ハイデガーの解説書がわかりやすいんだけど、などと私も逃げ腰になる。
 そうこうしているうちに、ビールがお銚子になり、七輪で、めひかり、こまい、ほたるいかの一夜干しなどを焼き始め、斉藤倫がいうには、すべてはくりかえすというのが、一人の人間を主体とするから辻褄が合わなくなるので、「人類」を主体としたらどうかというのだ。「人類」という人から見たら、あらゆることは今まで起こっているし、自分に起こっていることはすべて今他人に起こっていることだろう。
 私はその意見には一概に賛成しなかったけれど、その場では面白がって、それではネットで「ニーチェ」あるいは「永遠」で検索してみればいい、われわれに起こっているような「永劫回帰」という議論自体がさまざまな人の間を永劫回帰しているかもしれないぞ、とこういった。
 こんな酒の席での話を、そのまま連載にしてしまうのだから、やはり詩人というのは変わった人種だ。なんの証明も論理的な検討もなさずに、手当り次第に「ニーチェ」や「永遠」というキーワードで引っかかってきた日記をコラムに仕立て上げている。
 私に転載許可を得にきたときに、勝算があるのかと聞くと、やってみなければわかるはずがないと、まあ予想通りの答え。よくしたら、いままで見たこともないような、ニーチェもびっくりな思想が出てくるかもよ、とまあ太平楽なものだった。    
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