短歌ヴァーサス 風媒社
カレンダー 執筆者 リンク 各号の紹介 歌集案内

★短歌ヴァーサスは、11号で休刊になりました★
2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
← 2005.1.27
2005.1.28
 
2005.1.29 →


佐藤りえ

 
ぼくらが旅に出る理由(3)

 ひとの旅の話を聞くのが好きだ。それも瑣末な、くだらないエピソードであればあるほどいい。ニュージーランドでは羊料理が多いせいかどの料理も羊くさかったとか、老舗の三ツ星ホテルに泊まったら強風で建物がひどく「しなって」とても怖かったとか。素晴らしい景色の感想も、豪奢な料理の味わいも聞いて楽しいに違いない。しかしこうしたへんに手触りのある話がひょいと飛び出すと、みやげ話はきゅうに奥行きを持ったものになる。
 遠い場所、未知の場所に焦がれ出掛けて行くのは、今いる場所に定着することへの安堵と、不安がないまぜになった気持ちからかもしれない。しかし未知の場所も結局はひとの暮らす生活の場であり、そこにはそこの日常がある。ささいな話の数々が連れて来るのは、そうした「別な場所」の「別な日常」のにおい、気配でもある。
 生きているあいだに、というのは少し大袈裟かもしれないが、限られた時間のなかで辿り着くことができるのは、ほんのわずかの場所に過ぎない。今いる場所を長く離れること自体が難しいひとも、きっといるだろう。それでもここではない場所にもひとがたくさんいて、同じように、しかし「別な日常」をおくっているのだと思うと、うろこ雲の流れる空は、地上を閉じ込めるための天蓋ではない、別な理をも包むただひとつの共有物なんだなあとふと思ったりする。旅の話を聞きたいのは疑似体験をしたいだけでなく、かちかちになった心をやわらげるためでもあるのだった。
 ぼくらの住むこの世界では旅に出る理由があり、と小沢健二は歌う。出掛けて行くことは楽しい。「ここ」を離れていくことができるのは、「ここ」が帰ってくるべき場所だと知っているからだと、ほんとうは気づいている。でも今は少しだけやせ我慢をして、鞄を提げて、私はどこかへ行こうと思う。だって旅に出る理由があるから。誰もみな手をふってはしばし別れる、とオザケンは続けて歌う。そうです、しばしの別れなんです。きっと帰ってくるし、いつか必ずまた会える。根拠なく私はそう信じています。
← 2005.1.27
2005.1.28
 
2005.1.29 →